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プレゼンテーションの理論

 読まれる前に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 話すスピードは1分当たり280字。これが無理なく相手に伝わるスピードです。「280字則」と呼んでいます。この法則を使うと所定の時間に収まるのかどうかも検討がつくので便利です。パワポの画面に映す文字列は「1行」が理想です。もし、そこまで絞れたなら、内容がシンプルな証拠だし、言いたいコトも瞬時で伝わるので、聴衆の記憶に爪痕を残せます。
 
このページでは、こうしたプレゼンのコツを紹介します。そもそも、こんなモノを載せるのが危険なことは自覚しています。「そのわりに、アイツのプレゼンはたいしたことない」なんて言われたら、かなりへこむだろうから。そう、私がプレゼン上手かどうかは怪しいのです。なにせ本職の講義でも数名の学生は必ず入眠します。私のプレゼンがパーフェクトではない証拠です。もし、明石家さんま氏が講義をしたら誰も寝ないでしょう。ということは話芸として何かが足りないわけです。でも、世の中は話芸の達人だけではありません。達人でない人間だってプレゼンしなければならない。そういうヒトがいかにプレゼンすべきかを追求したつもりです。少なくとも私はこのページ紹介するコツを実践してきたので、これを読めば最低でも私と同レベルにはなれます。そんなレベルはとっくに超えていると言う諸兄には不要のページです。元々は卒論発表会を数週間後に控えたわが研究室の学生たちに向けた応援メッセージが原型ですから入門者向けのページです。ただ、私としては人前で喋るあらゆるシーンで使えるエッセンスを含んでいるとの自負もありますので、興味のある方はおつきあいください。

序章

 発表者としての資格                                                

 あなたは人前に立つことに不安がありますか?「緊張で固まるのではないか」、「言いたいことを十分に伝えきれずに終わるのでは」と心配する性格でしょうか?だとすれば、あなたにはプレゼンの資格があります。そういうヒトは、他人に良く見られたいし、自分を理解してもらいたい自己顕示欲があるからです。この欲求なくしてプレゼンの上達は望めません。また、不安や心配が襲ってくるのは想像力に富んでいる証拠です。せっかくなら、その能力を思い切り発揮しましょう。起こって欲しくない事態をできる限りイメージし切るのです。そこから、具体的に対処すべき箇所が見えてきます。だから、むしろ不安や心配はあった方が良いのです。と言っても、対処しないことには何も変わりません。その対処を3種のアプローチに分類すると「準備」「工夫」「訓練」となります。詳しくは後で説明しますが、ここでは取り急ぎこの3大アプローチをホントに実行するには多少の努力が必要なことを指摘しておきます。その努力を続けるために、やや子供じみた負けず嫌いを発揮して欲しいのです。研究室の同級生や会社の同僚をライバルと勝手に見なして「アイツには勝ちたい」と考えるヒトは短期間で伸びます。ここまでを整理すると、プレゼンに適しているのは『自己顕示欲が強いが、心配性で、そのくせ負けず嫌い』という、ややこしい性格のヒトのようです。でも、それはわりと多くのヒトに当てはまるのではないでしょうか。

 なぜ理論なのか                                                  

 私のようにヒトに理解してもらいたいくせに、喋るのが不安で、緊張しやすく、考えを十分に表現できない恐怖にかられる人間からすると、明石家さんま氏のような喋りの達人は心の底から羨ましい。あんなタイプに生まれたかった。そしたら、どんなに楽なことだろう。しかし、現実にそうでない人間として生まれた以上は(そのくせ負けず嫌いである以上は)、凡人でも上手にプレゼンできる「理論」を作るしかありません。
 
 いまの私がなんとか一角(ひとかど)のプレゼンできているとすれば、それは自己の不得手を自覚した上で、これを解消しようと構築した「理論」のたまものです。天才にはそんなものは不要でしょう。彼らは天性で結果を出せます。一方、万民に平等なのが理論です。きちんとプロセスを辿りさえすれば誰でも同じ結論に達するところが科学の魅力です。この小論を「プレゼンテーションの理論」と名付けたのは、誰もが使えるスキルにしたいとの願いからです。

 大げさに言えば、私は自身のプレゼンの改良と工夫を通して、自分なりに生きる道を見つけたと感じています。才能に乏しいがゆえに(しかし、負けず嫌いであるがゆえに)、不得手な部分をよく考え、工夫の限りを尽くすことで、かえって高みに昇れるというやり方です。そのためのアプローチが「準備」と「工夫」と「訓練」です。プレゼンに限らず、仕事を始めるに当たって小心者の私は才能ある周囲に気圧されることがしばしばです。そんな時はいつも「準備・工夫・訓練」とお題目のように唱えて歯を食いしばります。才能の欠如を自覚し、その分、愚直に事前の「準備」とオリジナルの「工夫」、そして反復をいとわない「訓練」を積めば、ヒトはむしろ解析的に困難を見つめ、半端な秀才よりも世の中に爪痕を残し、成長の喜びを享受する人生を送れると信じています。もう一度、「準備・工夫・訓練」を一つひとつ黙考して下さい。物事の対処は結局これにつきます。

ちょっと力が入りすぎて前置きが長くなりました。先を急ぎましょう。次節からプレゼンの理論を「準備編」「工夫編」「訓練編」に分けて説明します。

 

第1章【準備編】

 ミッション名を考える                                            

プレゼンの道のりは舞台本番のずっと前から始まることを自覚してください。日時が決まった瞬間から本番が終了するまでの一つのミッション(使命)と言えます。ここで勧めたいのが「ミッション名」の設定です。プレゼン終了のあかつきに達成していたい目標や願望をスローガンとして明確に言葉にしてみるのです。例えば「このテーマを引き継ぎたいと希望する後輩が二人以上」とか「発表者の中で聴衆の注目度ナンバーワン」などです。漠然と「無事に終わりたい」という逃げの思いではなく、「普段、自分をバカにしていたアイツを完膚なきまで見下す」みたいなブラックな野望でも良いから、できるだけ具体的かつ個人的な願望を言葉にしてみるのです。別に宣言するわけじゃないので、どんなに大それた(逆に、そんな卑屈・卑猥な)野望でも設定し放題です。ちなみに、私の修論発表会におけるミッション名は『○○(←ある後輩女子)を振り向かせる発表』でした。上手く行ったかって?聞くだけ野暮です。そのための理論だもの(笑)。とにかく、自分の魂が最高に燃え上がるミッション名を考えてみてはどうでしょうか。自然と前向きになれるものです。

 メインターゲット                                           

プレゼンの達人」と尊敬している人たちに講演をお願いすると、必ず聴衆の属性(職種・年齢・男女比など)を確認されます。聞き手がどんな集団かによって、内容は同じでも表現は変わりうるからです。特に、相手が自分の専門と違っていたり、一般の市民であったりする場合には注意しすぎることはありません。私たちは日常をそれぞれの業界に独特の専門用語の中で暮らしています。そのため、それが専門用語であることに無自覚になり、つい口にしてしまうため、相手に全く伝わっていないことすらも気付かないことがよくあるみたいです。

市民向けの森林散策会を企画した時のことです。引率してくれた学生が「この樹は、葉が羽状複葉なのが同定のポイントです」と説明しました。私たちにとって羽状複葉や同定は日常用語なので、何の違和感もなく聞き流していました。ところが、ある参加者が「ウジョーフクヨウ?童貞?」と顔をしかめたのでハッとしたのです。漢字が示されたならまだしも、音だけでは理解できず、混同するのも当然です。この時は違和感を表明してくれたから補足できましたが、講演会なんかでは、そんな質問はまず出ません。「なんだか小難しくて、面白くない話だ」でジ・エンドです。聴衆に合わせて、いかに注意しながら言葉を選択すべきか思い知らされた事件でした。

どんな業界でも、使う側は無意識なのが専門用語の怖いところです。ためしにあなたの業界の専門用語を一切使わずに自分の仕事や研究を説明してみてください。思った以上に窮するはずです。学生が最初にそれを体験するのは就活の際の面接です。卒論の内容は必ず聴かれるものですが、たとえ教員や仲間から高い評価を得ていたとしても、この場合のターゲットは人事を担当する面接官です。彼(彼女)が分かる説明でなければ意味がありませんし、正にそのスキルが試されています。

ただし、ここが大事ですが、しっかり理解してもらおうと最初から最後まで詳細かつ正確な説明を尽くせば良いかと言えば、そうでもありません。「正確な説明」と「分かりやすい説明」は必ずしも同じではないのです。むしろ「わしづかみに分かった気にさせる説明」を心がけるべきです。その時には、気になる例外や枝葉末節はバッサリ捨てる作業も必要です。正確さは付加する作業とするなら、分かりやすさは削る作業です。短絡的に表現しすぎて専門家としての良心がとがめる場合はあります。それでも、思い切って目をつぶる勇気も必要です。例外や詳細、誤解などは後で正すつもりでいるのが正解です。本当に興味を持った聞き手なら、あとで自ら調べます。それが彼(彼女)にとっても真の学びにもなる。そんな学びへの導入としては、まずは分かりやすさを優先する。分かりやすさを追求するために、どこまで正確さを犠牲するべきか、その塩梅(あんばい)、つまり情報の取捨選択がプレゼンを準備する段階では最も大事な作業とも言えるでしょう。もちろん、どこまで削ぎ落とすべきなのかも聴衆の属性によります。

やっかいなのは、聴衆の中に様々なタイプの属性が混在し、理解度が異なる人々を同時に相手にしなければならない時です。素人と専門家が一緒に聴いている講演会で、素人にあわせれば専門家はだれるし、専門家にあわせたら素人には理解できません。こんな時には腹を決めてメインターゲットを絞るしかない。可能ならそう宣言したら良いでしょう。「今日は初めての方も多いので、かなり簡単にお話します」とことわれば趣旨を理解してくれます。どうしても伝えたい特定の相手がいるなら他を犠牲にしてターゲットを絞るのもアリです。政策提言を含むなら行政関係者に独特のニュアンスが必要ですし、少数だけ参加している高校生を受験生にしたてないなら、若者だけが知るエピソードを交えてうったえるのもやむなし。逆に、宗教や性的なコトが関わる話では特別な配慮が必要な場合があります。生物進化の説明をする時に、聖母マリアの「処女受胎」を持ち出すことがあるのですが、カトリック教徒がいれば不愉快かもしれないし、中高生を相手には、そもそも話すべきかいつも迷いながら判断します。

だからこそ、達人たちは事前に聴衆の属性を知りたがるのです。青年か老人か業界人なのか。そして、先に紹介したミッション名もその属性を知ることで設定は変わりえます。「この中から山大農学部の受験希望者を一人でも多く」とか「孫に受験を勧めてもらう」とか「これで明日のHPへのアクセス件数をいつもの倍にする」などと設定すると、準備にも自ずと力が入ります。準備は聴取が驚き、喜ぶ顔をイメージしながらするものです。

 目指すは脳みそバリアフリー状態                                   

良い発表のバロメーターは、聞き手が考えなくても理解できるか否かです。聞き手がいちいち悩むようでは良い発表とは言えません。若い頃の私はこの点を誤解していました。学生時代に初めて参加した学会で、聴いても理解できない発表ばかりで戸惑っていました。自分のアホさかげんに自信を喪失しかけたのです。ところが、菊沢喜八郎さん(当時、北海道立林業試験場)や清和研二さん(現 東北大学、当時やはり北海道立林業試験場)の発表だけは私にもよく理解できたし、その内容にワクワクしたのです。「このヒトたちの研究は、俺にもわかるくらい程度が低いのか?」と疑いましたが、周囲の反応から察するに、どうやらみんな面白いと感じているらしい。つまり、優れた研究はアホでも分かるのだ・・・してみると、理解できない発表は聞き手が悪いのではなくて発表者のせいなのか。

次に参加した学会でも、やっぱり分かりやすくて面白い研究ほどこちらが頭を使う意識はなくて、内容に入り込みやすかったのです。後で気付いたことですが、こうした発表は共通して、聞き手が次ぎのスライドを予測できるよう組み立てられていました。「そんな結論を導くには、こんな条件が必要じゃない?」と思っていると、そんな条件のスライドが出される。「すげぇ〜な。そしたら、こんな展開もありだなぁ」と考えたら、そんな展開が説明されている。自分の予測が当たると脳はドーパミンの報酬を受けるのか、益々のめり込んで行きます。どうやら、プレゼンの達人たちはアシカ・ショーの飼育員のごとく、報酬を与えながら知らないうちに聴衆を導いて「知の冒険」を楽しませるのに長けています。そうです、「次ぎのスライドが想像できる発表」こそ、分かりやすいプレゼンの目指すべき究極の姿です。そして、こちらが悩まずともすんなり理解できる状態を『脳みそバリアフリー』と呼ぶことにしました。次章の工夫編はすべて脳みそのバリアフリー化を実現するための工夫と言えます。

第1章(準備編)の終わりにかえて、これまでのことをまとめましょう。良い発表の準備として、肝に銘じるべき心構えは、『聴衆の属性をよく理解し、それに合わせた脳みそバリアフリーを確保するため、次ぎが予想できるような展開を心がける。このためには(多少の正確性を欠いたとしても)わしづかみに理解してもらえるような情報の取捨選択に務めるべき』なのです。

 

 

第2章【工夫】

 シナリオ作成                                               

何事もゼロから何かを生み出す瞬間が最もエネルギー要します。準備は始めが大変です。まずは、映画監督になったつもりで絵コンテを書いてみましょう。料理人になった気分でレシピを書くイメージでも良いでしょう。映画監督が話の展開にイメージを持たないままに撮影に入ることはありえません。できあがる料理とそこへの行程のイメージがない料理人もいません。プレゼンもまったく同じです。手書きのメモでも、ワードで箇条書きでも、パワポにひと言ずつでも構いませんので、最初から終わりまでの流れをざっくり作ってしまいます。あとで編集を何度も繰り返す方が断然やりやすいです。細部は後に回して、全体構想を作ってしまいましょう。

心がけたいのは、「1発表1中心スライド主義」です。学会などでの10数分の発表では、本当に核となるスライドは通常1枚です。あとはそこに至るための布石(背景や仮説提示、立証の方法)のスライドであり、補足や波及効果あるいは言い訳にあたる場合がほとんどです。中心グラフを1枚決めてしまい、すべてがそれを説明するためにあると考えると内容の構成がとても楽になります。

 「しこみ」と「受け」の関係                                         

流れを作るときに、これはとても大事な概念です。12分の発表の中で、登場した事柄はすべて有機的に連関していなければなりません。「目的で述べたこと(しこみ)が結論に反映されているか(受け)」、「使用した用語(受け)がその前に定義されているか(しこみ)」、「研究方法で紹介した項目が(しこみ)、結果ですべて使われているか(受け)」、「結果以降で重要になってくる考えについて(受け)、ちゃんと、はじめにや目的で触れているか(しこみ)」という前後関係に注意を払わなければなりません。

映画でたとえてみましょう。次のようなお決まりのシーンを見たことがあるはずです。@前半部で恋人からプレゼンとされたコインを胸ポケットにしまう。Aクライマックスで彼は銃弾に倒れる(死んだのかと思わせる)。Bところが、胸ポケットのコインが、彼を銃弾から救っていた(めでたし、めでたし)。さて、この展開において@が「しこみ」であり、Bが「受け」です。@が事前に説明されているからこそ、Aのハラハラを、Bで理屈をもって解消できるのです。@が用意されずに、いきなりABだけしかなければ「ご都合主義の何でもあり」の映画になります。必ず事前のケアが必要なのです。逆に、Bがないのに@があるのは、単なる時間の無駄です。研究発表では意外に多いです。特に調査地概要や研究方法において、結論には全く反映されない情報が無意味に説明されていることがあります。チェックしましょう。

こうして、すべての流れを通してみて、なおかつ客の身になった説明になっているかもう一度チェックしましょう。たとえ、1つひとつの図がしっかりしていても、流れにすると分からないこともありえます。すべての単語を知っているのに、その英文の意味が分からないという経験はないでしょうか?あれが一番気持ち悪いのです。同じような感覚に客をさせてしまうとミッションは失敗です。

 「シート枚数の目安                                            

 ここからしばらく、パワーポイントのスライド作図についてまとめます。まず、シートの枚数ですが、一概には言えませんがだいたい1つの画面で1分前後と想定してください。1枚の画面に3分以上もかけると聴衆はダレます。学会のように発表時間が12分であれば、トータルで12枚を超えそうなら黄信号、20枚以上は赤信号と言えるでしょう。もちろん、写真だけの画面のように時間があまりかからない画面もありますから、実際は上の目安よりある程度は多くなっても時間内に収まるものです。しかし、私の経験では持ち時間(分)の2倍を超える画面数(つまり、12分では24枚以上)はありえません。1.5倍が許容範囲です。

 7行の法則                                                

では、一画面にはどの程度まで情報を入れられるのでしょう?ベル研究所のジョージ・ミラーが提唱するのは『マジカルナンバー7±2』です。つまり、ひとつの画面の文字列は7行以内にすべきで、9行以上になるとヒトの短期記憶では把握できないそうです。発表直前ゼミでこれを紹介したら、ある学生に「先生!どうやっても8行にしかできません」と泣きつかれたことがありました(笑)。なにも、7行を厳守せよというのではありません。そのくらいシンプルにすることを心がけて下さい。画面全体が文字で埋められたスクリーンにうんざりした経験は誰でも一度はあるでしょう。ホントのことを言うと、最近はもっとシビアな指摘もあります。なんとヒトは一度に3〜4項目しか短期記憶をできないことが分かってきました。それを知っていたのか、あのスティーブ・ジョブズは話のポイントをせいぜい3つか4つに留めるようにしていたそうです。ジョブズのプレゼンの数々はYouTubeにもアップされているので参考にしてみてください。確かに、このヒトのプレゼンはスクリーンにたった1行という場合もあり、それが鮮烈な印象を与えるのに貢献しています。濃紺の背景色に1行の白い文字を浮かび上がらせる効果はバツグンです。やってみると分かりますが、ここでの問題は、そこまで内容を単純化できるかということにつきます。内容を研ぎ澄ますためにも、1行に絞れるかどうか努力はしてみるべきです。まぁ、そこまで無理はしないまでも、提示する文章を「体言止め」にするなどして、限りなく短くする努力はするべきです。

 目線は左から右へ、上から下へ                                    

1枚のスライドの目線の動きは上から下へ、左から右へ動かすのが自然です。したがって、1枚のスライドの中の箇条書きやイラストを説明してゆく時に、各パーツが、上→下へ、左→右へ論理が流れるように配置されるべきです(要するに、目線がいろいろ飛ばないようにすることです)。自然に流れる配置になっていれば、いちいち説明箇所をポインターで指す必要もなくなります。テレビのニュース番組では、よっぽどのことがないかぎりキャスターがポインターで説明することはありません。それでも無理なく理解できるのは、画面が基本の配置を守っているからです。

 黄金分割                                                  

ヒトが一瞬で全体を把握できる縦横比は黄金分割(1:1.6)と考えられます。図表や、全体の構成がこの比率になるのが理想的です。ただし、画面いっぱいに情報が展開していると、たとえ黄金分割といえども、理解を阻害します(学生はこれをよく誤解します)。四方にある程度の余白を残し、画面中心にぎゅっと凝縮するようになっていると意識が集中し、情報をひと目で把握しやすくなります。

 アニメーションの功罪                                           

パワーポイントのアニメーションはとても便利な機能です。「そうか!」というダイナミックな演出をすると発表はさらに魅力的になります。ただし、聴衆は、話を聞きながらも、目はその先を追っていて、情報の先取り(つまり予習)を無意識にしているものです。「次ぎが予測できる」のがプレゼンの理想ですから、画面も予習できるのが優れた画面と言えます。ところが、大事な結論などがアニメーションで隠されてしまっていると、聴き手は予習の余地がなくなりますから、提示された時に瞬時に理解しなければいけなくなります。これが続くと脳はひどく疲れてバリアフリーどころではありません。過ぎたるはおよばざるがごとし。アニメーションはここぞと言う時の効果的な一発くらいにしておくのが無難です。

 配色                                                  

配色は大変難しい。主役は論理展開ですから、図表が絵柄として綺麗であるとか、芸術的である必要はありません。しかし、あまりにも殺風景であるのも発表者のやる気が感じられません。テレビニュースなどを参考にして、見ている人間の思考を邪魔しない配色を参考にしてください(これ以上は個別にアドバイス・検討するしかないです)。

すくなくとも1つのプレゼンのはじめから終わりませに一貫した法則を作ることを勧めます。配置や配色パターンの統一をすることです。例えば、必ず上段左隅に青地に白抜き文字でそのスクリーンのタイトルを示し、結論は薄青地に黒文字で右下に配置するなどのパターンを、終始一貫させることです。数枚も進むと、聴衆はあなたのパターンを理解して、予習効果も発揮してくれます。この効果は意外に大きいものです。というのも、聴衆は12分間を一字一句もらさず集中してくれているとは限りません。ちょっと考え込こむ、ぼっとするなど、しばしあなたの話から離脱する場合もあります。その客が我に返った時に、図中の構造がパターン化されていれば、途中からでも、すぐにあなたの世界に復帰できるのです(サービスです)。

 図形と文字の関係                                             

シェマやフォローチャートでは、図形の中に文字を入れることもしばしばある。その選択は充分に考えることです。よく使用する長方形は、文字を効果的に詰め込むことができますが、堅い印象を与える難点があります。一方、丸は文字を沢山入れることができませんが、強調や集中力を高めます。したがって、簡潔で重要な結論や単語はより丸に近い方が効果的と言われているのです。両者の妥協として、私が良く使うのは、四隅を丸くカットした図形です。柔らかい印象と集中性が達成できつつ、一定数の文字情報も挿入できるからです。

さらに、図形に輪郭を付けるとシャープになるが、有りすぎるとうるさい印象を受けます。両者の妥協として、しばしば中間色を使うのが私の方法です。

 写真とイラストを多用する                                        

このことは、口を酸っぱくして指摘するのですが、学生さん達にはなかなかはじめのうちは認識してもらえないようです。しかし、口頭<箇条書き<イラスト<写真<実物の順で理解力は高まるものです。あなたは分かっていても、聴く方はイメージできなければ、その時点で聴く努力を停止します。どんな説明においても、まずは適切な写真があるか、またはイラストで表現できるかを優先的に考えるべきです。その後、充分に検討の上、箇条書き程度で良いとだろうとか、ここは口頭で充分だとか判断すべきなのです。優先順序が逆です。

 カンニングをひそませる                                             

あとで説明するように、発表中に緊張するとついつい次の言葉が出てこなくなる時があります。そんな時のために、手掛かりとなる単語や短文を図中に入れておくのも有効です。

第3章 練習編

 緊張を受け入れる                                                 

さて、以上のように発表内容と図表がそろってはじめて発表資格を得たことになります。いよいよ、あなたは聴衆の前に立つ準備ができました。ところで、あなたは、今までに最大で何人の前で喋ったことがありますか?私の場合の最大値はおそらく2000人です。しかし、これくらいになると多すぎてかえって緊張もしないものです。最も緊張感が高まる人数は「3桁」ではないかと思います。まさに、卒論発表会の人数なのです。

3桁の人数の聴衆を前にすると、誰でも緊張するものです。それは当たり前なのです。そして、緊張を消し去ることは無理です。よく「手のひらに人と言う字を書いて呑み込むと緊張しなくなる」と言います。そんなことはありません。緊張を無くす方法はありません。あきらめましょう。むしろ、考え方を変えて、緊張をそのまま受け入れることです。そして、緊張してもなおかつ聴衆の理解を得えられる方法を考えるべきなのです。これから、そのための戦術を述べて行きます。

 発表の大原則                                                

まず、これからプレゼンをするにあたって、「発表の大原則」を確認しておきましょう。それは、「発表する時は(図表を指している瞬間以外は)聴衆に身体を向け、聴衆の目を見ながら語る」ことです。やたらに単純です。しかし、これができるだけで、説得力が何倍にもアップします。逆にこんな単純なことができないからプレゼンは難しいのです。プレゼンの極意というものは、実は、単にこの原則を忠実に守るための各種テクニックと言っても過言ではありません。

 発表原稿を用意する                                           

まず、発表原稿についてですが、原稿を用意すべきなのは当然です。必ず作成してください。図表を並べながらじっくりと原稿を考えましょう(というより、実は図表を用意するときにも発表しやすいか原稿を意識しながら作るべきなのです)。もし、自分が少しでも説明しづらい図や部分があるのなら、聴衆にはさっぱり分からないと思って間違いありません。もう一度、作図の工夫から再検討してください。

注意すべきことは、文章としての完成度と、プレゼンでのわかりやすさは必ずしも一致しないことです。書き言葉として欠点や無駄のない表現は、しばしば話し言葉としては理解しづらいことがあります。文字列は映像として前後も視野に入れながら、時には後戻りをして確認できるのに対して、音声は完全な受け身であり、一瞬で消えてしまうからです。したがって、プレゼンでは、同じ言葉の繰り返し(選挙では候補者の名前を連呼しますね)や言い換えが有効な場合が多々あります。例えば・・・・

<改善前>

「ブナの補償反応は、被害程度に対する依存度という観点から主に研究されてきました」

だけでは、文章としては完全ですが、口頭表現としては印象に残りません。ですから、それに言い直しと繰り返しを付加します。

<改善後>

「ブナの補償反応は、被害程度に対する依存度という観点から主に研究されてきました。すなわち、ブナはどの程度まで食われても大丈夫なのか、つまり補償できるのか、あるいは、どれ以上食われるともうダメなのか?・・(ここで間をおく)・・そんな視点だけで研究されていたわけです」

と、易しい言葉で言い直しをして、「補償」という専門用語も繰り返すと、親近感のある分かり易い説明になるのです。そして、知らず知らずのうちに「補償」という言葉も聞き手に浸透してしまうのです。同一単語の繰り返しと言い換えは、私のよくやる手段です。「一度だけではヒトは分からないだろう」と聴衆の理解を疑っているからです。良く言えば、聴衆の理解に甘えないのです(←これも言い換えです)。

原稿は、是非、声を出して練習をしてみましょう。黙読はあまり効果がありません。その際に、時間がどれくらいかかるか毎回測っておくと良いです。余裕があるならば、どこの説明までに何分かかったかも調べておくと対策すべき箇所が見えてきます。はじめはたいていオーバーするはずです。ここで考えるべきことは、流ちょうに話せば解決できる程度なのか?根本的に図を削るなどの対策を考えるべきなのか?の判断である。毎回、これを考えながら練習しよう。

 発表原稿の文字数                                                 

12分の発表のための原稿はどの程度の長さが適当なのでしょう。私はWordを使うようになってからは、発表した原稿をすべて保存してあります。そこで、発表時間と発表原稿文字数の間の線形回帰を行ったところ、

 

y=279.3・x (r0.93)・・・・式@

ただし、yは発表原稿の文字数、xは発表時間(分)をあらわす。

 

という関係を得ました。つまり、私は1分間に280文字のペースで話しているのです。これが私のリズムと言えます。ただし、あなたのペースはこれとは違うかもしれません。もっと速いペースが合っているかもしれないし、遅い方が適しているかもしれません。個人の特性による可能性があるのです。ところが、先日ある本を読んでいたら、最も分かり易い日本語の早さは1分間に280字と述べられていました!ドンピシャです。したがって、もしかしたら、「280字/minの法則」は一般法則なのかもしれません。たとえ個人差があったとしても、この速度から大きくずれることはないはずですから、目安にすると良いでしょう。この計算でゆくと、12分の発表は、3360文字です。多くても3500文字までに納めるのが良いでしょう。

蛇足ですが、このように自分も自覚していなかったような行動的法則性を自己発見すると、なんだか楽しくなります。あらためて自分を客観的に見つめて、自分の知らない自分を明らかにした気分になります。「理論」ですね。

 発表原稿を書くことの効用                                        

私は、完成した発表原稿を2、3度書き直します。推敲するのではなく(それは充分にした後です)、文字どおりに白紙の状態から書くのです。2度目以降は「練習のために書く」のです。その際、ワープロに向って、口に出して読みあげながらキーボードを打ちます。この行為によって、原稿を「目で覚え、口で覚え、耳で覚え、手で覚えている」からです。まさに、五感を使って覚えるのです。正確には嗅覚を使っていません。もし、徹底するとしたら、練習時に決まった香りを嗅ぐように条件づけると記録力がアップするかもしれません。私は実行したことがありません。でも、懐かしい香りを嗅ぐと、その時に条件が記憶に甦ることがあります。記憶と五感はこのように連動しているのです。マシーンと化すにはこれくらいの徹底した工夫も必要かもしれません。

ところで、みなさんはここで不思議に思いませんでしたか?発表のための原稿を用意するのに、なぜそれを覚えなければならないのでしょうか?その理由は「発表の大原則」を守らなければならないからです。次にそれを説明します。

 本番では原稿を読まない                                        

せっかく完璧に用意した原稿ですが、本番では読まないことを強く勧めます。原稿に顔をうずめて、ひたすら棒読みするキャスターがいるでしょうか?読む行為は、しばしば感情や抑揚がない棒読みになります。これでは聴衆の印象が悪いばかりか、理解程度が格段に落ちるのです。原稿は最終的には暗記しておくべきなのです。

原稿読み型のもう一つの弊害は、スクリーンの図表をポインターや指示棒で指す時には、どうしても原稿から目線を切ることになります。しかし、その後で再び続きを読もうとしても、自分がどこまで読んでいたのか分からなくなってしまうことがあるのです。一度でも目線を切ると、二度と原稿に戻れなくなるおそれがあるのです。こうなると気が弱い人間は、頭がパニックになってしまい益々状況を悪くしてしまいます。暗記をしていれば、そもそもそういうことは起こりません。発表原稿を読むことはきっぱり諦めましょう。そして、「大原則」に立ち返り、聴衆に向かって正々堂々と目線を向けて発表するのです。そのように開き直ることで、実は、かえって落ち着くものだし、説得力がつきます。プロの中にも、時々スクリーンに向かって話しかけているヒトを見かけます。これでは、観客には背を向けることになり「発表の大原則」に反します。そればかりか、ひたすらスクリーンとしゃべる姿は「アブナイひと」に見えます。この点は、後でもう一度念を押しますが、身体は絶対に聴衆に向けて、聴衆の目を見ながら話しましょう。ほら、そうすると、原稿は覚えなければならないのが当然の帰結なのです。

 お守りとしての発表原稿                                        

ところが、そうは言っても、一応発表原稿は本番でも手元に持っておくべきなのです。そこにあるだけで「お守り」としての効用があるからです。「3枚のお札効果」と呼びましょう。万が一、言うべきことを見失って、パニックになってしまったら、いつでも原稿に頼れると思えるだけで安心できます。私自身はこれまでは、まだ一回もそういう緊急事態に陥ったことがありませんが、それでも毎回、壇上まで発表原稿を持って行きます。

一応、最悪の場合に備えて原稿は、大きな字で、どんなに少ない字数でも、ひとつの図に対して1ページを原則として作ることを勧めます。緊張でどうしても次の言葉が出てこなくてパニックに陥った時に、すぐに目的の場所を探せるようにするためである

練習をしていると、何回も同じ箇所でつかえる部分がでてきます。そういう部分は、そもそも原稿が自分のリズムと合っていないのです。普段使い慣れていない単語や言い回しを無理に使うとそうなることがあります。できるだけ、原稿を自分のしゃべりやすいものに変更しよう。それでもダメなら、そういう箇所は特に時間をかけて徹底的に練習するしかありません。事前にそういう箇所には、マーカーペンで強調をしておき、いつでも読み上げることができるようにしておくと良いです(最悪、棒読みができるようにしておくのです)。

以上のように、自分に「大原則」を課しておきながら、一方でリスク対処もしておく、こういうケアが「両賭け戦略」を研究している私のやり方であり、発表だけではなく、社会生活においても凡人が生きて行く秘訣だと思っています。

 発表態度と聴衆の支持                                          

発表態度が聴衆に与える印象は、想像以上に大きいものです。アメリカ大統領だった故ロナルド・レーガンは、「政治家の演説内容を正しく理解して善し悪しを判断する大衆は10%もいない、70%以上の聴衆は演説の態度や服装で判断している」と述べています。自信のある態度がいかに大事か端的に示す逸話です。根拠が無くても、自信満々に話されると、そんなものかと納得した気になるのです。特に、関西弁には不思議とそういう効果があるので、しゃべれるひとは関西弁でやるのが良いでしょう。

元気よく発表しているか?は、その卒論に一所懸命、意欲を持って取り組んだことのバロメーターにもなります。少なくとも聴取はそう判断します。逆に言えば、本当は一所懸命やったのに元気がない発表だと、それだけでダメな内容と判断されかねないので、損をしないようにしよう。元気な発表には何が必要だろうか?何よりもまず大声で話すことである。最初の自己紹介で大きな声を出すように意識すれば何とかなる。原稿をうつむきかげんで読むと、それだけで声はこもり、聴衆に届きにくくなります。ここでも、「大原則」が効いてくるのです。そのためにも、やはり原稿は暗記すべきなのです。

 服装                                                     

ところで、発表時の服装を考えたことがありますか?別に、バリバリのフォーマルなスーツにする必要はないです。普段とあまりにも違いすぎるとかえって滑稽にうつります。印象を考えてみようということです。色彩学では、上半分が濃い色で、下半分が薄い色になると躍動感がでると言われます。元気にみえるのです。キャンベルスープの缶のデザインを知っていますか?アンディー・ウォフォールという前衛画家が描いた代表作ですが、それがこのパターンの典型だそうで、この原理はファッションでも応用されているそうです。

別に神経質になる必要はありませんが(と言うかそれですべてが解決するほど甘くはない)、そこまで戦術を練って自分のプレゼンを良くしたいと考えているかどうかという意識の問題です(同じことは、前述の図にも言えます。情報が過剰じゃないか、色彩バランスはどうか、縦横の比率のバランスはどうかまで考えよう)。

 うなずきおばさんを探せ(聴衆の中の味方をみつける)                      

発表中は、聴衆の表情の変化も観察しながら説明できれば最高です。というのは、聴衆の中には、なぜか妙にうなずいて聴いてくれるヒトが一人や二人はいるものです。一般の講演会などではおばさんに多いので、私はこれを「うなずきおばさん」と呼んでいます。自分の説明を理解してくれているヒト、一生懸命聴いてくれている人間がいるのが分かるだけで、とてつもない勇気が湧くものです。そこで、私は最初の1分間に必ず「うなずきおばさん」を探すことにしています。もし、発表中にそういうヒトがいたら(おばさんでなくても良い、と言うか、卒論発表ではいない)そのヒトに向かって集中的に話しかけるのも1つの手です。そうすると、だんだん話しが乗ってくるものです。最初の1分間で、そういうヒトを探すのがことです。

 気を失っても勝手に動く口を作る(1日30回メソッド)                       

さて、以上のように、原稿を読まず、「大原則」を貫くには、なんと言っても練習、練習、また練習です。もともと極度の緊張症である私は、自分の卒論発表の時にはどうしようかと悩みました。私の出した答えは、「緊張して意識を失ったとしても、なおかつ口が勝手に動くほどに練習しておく」でした。1日30回×1週間やってそういう境地になります。登下校、風呂、トイレの中、どんな時でも練習はできるのです(運転中だけはやめましょう)。

発表では、特に出だしの自己紹介+ワンフレーズがすんなり出るかが運命を分けます。これができれば、あとは意外にスムースになります。私は、15年以上たった今でも修論発表会の最初のフレーズをしゃべることができます。緊張を克服するためにそれほどまでに練習したからです。だからこそ、1週間前までに、もはや書き直す必要がない完璧な原稿ができていなければならないのです。1日、2日前に内容、図表、原稿のどれかひとつでも欠けているようなら、「私の場合」は本番がかなり危うくなると思います(実際、そんな危ういことはゼミの準備でさえありませんでしたが)。個人差はありますが、最低でも3日前までには原稿を最終的に確定してしまいましょう。最終原稿を確定しなければ、暗記はできないのです。3日前に最終原稿ができるまでには、たぶん1週間前には内容が決まっていなければなりません(しつこいようですが、私はいつも1週間前には発表原稿ができていますから、これほどきわどい危険を冒したことはありません。3日の練習では無理だと考えているからです)。もちろん、それは個人の才能や緊張するタイプかどうかによるので、直前までできていなくても堂々と発表できる人間も中にはいます。要するに自分のタイプを見極めて、それに併せたスケジュールを逆算するのが、「タイムマネージメント戦略」なのです。ただし、基本的に自分の能力を過信したスケジュールは立てない方が良いです。私から見ると、皆さんはどうも自分の能力を過信しがちです。途中で予想しない事態が起きるとも限らないし、「卒論発表会」とはあなたにとっておそらくはじめての経験のはずです。未知ものには、自分も見積もりが甘い危険性がつきまとうのです。簡単だと思っていたことが、実際やってみたら難しかったことって必ずあるでしょう。「難しいと思っていたら、意外に簡単だった」の方が安心です。自分の才能への信頼は心の底に秘めておき、作戦の立案に当たっては、自分が思った以上に無知・無能であることを前提に考えた方が、結局は幸せになると私自身は確信しています。

 10分を身体に覚えこませる                                      

発表は12分ですが、10分で予鈴がなります。実は、これを聴くと結構あせるものです。とたんにリズムが狂ったり、緊張したりします。顔が熱くなる経験を何度もしています。練習の時からベルを鳴らすようにして、予鈴に慣れておくべきです。ストップウオッチとベルなどを利用しながら練習し、10分のベルが、何枚目の図表の説明時に鳴れば、最終的に12分で収まるものか把握できるようにしておきましょう。ボクサーは1ランド3分を身体で覚えていて、フィニッシュのタイミングを計ると言います。マラソンランナーもラストスパート時点をあらかじめ決めておきます。これと同じ理屈です。10分経過時で、あと残り2分です。あせらなくても充分に説明できる分量というものを練習によって把握しておけば、大事なフィナーレを落ち着いて感動的に迎えることができます。

 

 事前に会場を把握しておく (コンピュータの作動も含む)                     

三国志(正確には三国志演義)で諸葛孔明は、戦場となる場所の地形や天候を事前に熟知してから戦いに赴いています。同じように、自分がプレゼンをする会場の状態を事前に把握しておくべきです。スクリーンと演台の位置関係や距離、観客席の規模などを「実感」しておくべきです。私はかならず、発表会が始まる前に、早めに会場につき、演台に立ってみて観客席がどのように見えるか確かめます。それに、プロジェクターが違うと光源の強さが違うので、本番で使用するスクリーンでは練習で慣れているそれと同じように発色してくれるとは限りません。また、パワーポイントでは良く起こることですが、コンピュータ(OSやソフトのバーション)が変わると、図形や改行位置がバラバラになることがあります。ベテランはそのような状況を巧みにかわして、笑いに変えてしまいますが、はじめてのヒトは、練習の時と状況がほんの少し変わるだけで、頭が真っ白になることがありえます。本番しようのコンピュータで事前にチェックしておくべきです。その他にも、無意識に自分だけのこだわりがそれぞれあったりするもので、それが変わると本来の力が発揮できない時があるのです。他人の家のキッチンを使うと、いつものように料理ができないもどかしさを感じたことがありませんか?同じことが、本番の会場では起こりうるのです。これを回避するために、事前に本番の会場と同じ状況に身を置いてシミュレーションを何度かしてみるべきです。301講義室を知ってはいても、演壇に立った経験はないはずです。

 自分の「型」を作る(発表モード・スイッチオン)                            

できれば、発表する時のおきまりの仕草を作りましょう。教員を見てください。それぞれに説明をするときの決まった身振り、手振り、口癖があるはずです。私は、手振りを意図的に作りました。掌を上に向けて、腕を上下に振るスタイルです。今は、自然にそうなりますが、最初は無理矢理プレゼンの時にそうするように自分の身体を教育したのです。これが癖になることにより、全身が自動的にプレゼンモードに入るようにするためです。決まりの型をはじめたとき、脳みそも「さあ、これからプレゼンだぞ」という戦闘態勢、すなわちスイッチ・オンの状態に入るのです。これがプログラムされてくると、プレゼン独自の緊張した環境にもマシーンと化すことができるのです。

今は、さすがにやめましたが、学生時代に私は学会発表の時だけに着用する「勝負パンツ」がありました。これで朝から全身をスイッチ・オンにするのです(プレゼンに向けてですよ、パンツだからと言って他の事へのスイッチ・オンではありませんからね)。たぶん、スポーツ選手が行う験かつぎは、神懸かり的なもというより、スイッチ・オンのための自己催眠なのではないでしょうか。

 ギャグは両刃のヤイバ                                          

「笑い」は好感度を一挙に上昇させます。次のギャグも期待してしまうので、それ以降の聞き手の集中力は格段にアップします。余裕を感じさせるので、安心して聴ける効果もあります。発表者も会場が受けてくれると、それ以降は完全に自分のペースで話せます。すなわち、効果的な一発のギャグで会場全体の空気が良い方向へ転換するのです。ところが、ギャクにはリスクも大きいことを自覚しておきましょう。「すべる」ことも多いからです。笑いを取るつもりが、全く受けないと、それ以降のプレゼンは大変つらいことになります。とたんに心拍数が上昇して何を言っているか分からなくなったりします。つまり、ギャグは上手く行けば高い評価が保証されますが、失敗した時のダメージは強烈で、とてもギャンブル的なのです。それを充分に承知した上で使うか否か選択するべきです。私の経験では、意図しないその場のアドリブでつい出たものが最も効果があります。へたにあらかじめ用意すると「すべる」確率が高くなる気がします。また、以前に大爆笑をさそった内容が、別の機会では全く受けないということもしばしばあります。つまり、まったく予測不能な要素です。残念ながら「笑いの理論」は、まだ構築できていないのです。ここは依然として才能の世界なのかもしれません。

 ポインターの選択                                             

発表で図表を指し示す道具には、上記の3つがあります。私が理想とするのは実は指示棒です。レーザーポインターは、手元のふるえがスクリーン上では大きく増幅してしまい、緊張がバレバレになるばかりか、ひどいと何処を指しているのか分からなくなります。一方、コンピュータポインターはその心配がありません(マウスも揺れるほど緊張していたら別だが)。しかし、気をつけねばならないのは、ついついコンピュータ画面とにらめっこしてしまい、聴衆に顔を向ける「大原則」が損なわれる危険が高くなります。それをさけることができるのが古典的な指示棒なのです。ゆえに、私は指示棒を使うことを、理想とするし、ヒトにも勧めたい。しかし、会場によっては画面が遠く、それができない場合も多々あります。最終的には状況に合わせるしかないのです。個人の好みもありますから、絶対条件ではありません。絶対条件は、いずれにしても聴衆に顔を向ける「大原則」遵守なのです。

 スクリーンに対する立ち位置                                      

聴衆に顔を向ける大原則を実行しようとすると、スクリーンに対する立ち位置も重要になります。このとき、理想的には右利きの発表者はスクリーンが右に来るように立つべきであり、左利きの発表者は逆に立つべきです。そうすることで、利き腕で持った指示棒やポインターを指す時、身体は聴衆に正対できるからです。右手で指示棒を持ちながら、スクリーンを左にすると、図表を指す時に、身体がねじれて、聴衆に正対しにくくなるのです。

ここで、発表者は選択を迫られます。私が考える理想の形である、スクリーンを右にして、指示棒を使うならば、ピンマイクを胸にさして、思い切って演壇の反対側に立つべきです。実際そうして成功した学生(能登君)もいます。私も自分がやるならばこのスタイルを採用します。一番、説得力が上がると信じているからです。ただし、この場合、コンピュータの画面を先に送る協力者が必要となることも考えておかなければなりません。3年生にとっても勉強になるので、協力をあおいでもよいと思います。もう一つ、このスタイルを採用した場合には、いたずらにアニメーションを使うのは危険です。協力者とかなり息を合わせないと、タイミングがとれないからです。

しかし、逆に、演壇に張り付いて、コンピュータポインターを使う学生も多いです。これは、これで良いと思います。ただし、しつこいようですが、聴衆の顔を見ながら発表するという大原則だけは、絶対に守ってください。

 

 質疑応答                                                 

発表そのものは、準備に応じてそれだけ成果があらわれるものです。才能の欠落を努力でカバーすることができます。ところが、怖いのはその後の質疑応答ですね。ここは準備のしようがないので、アドリブの世界が待っている。慣れるとそれが楽しいわけですが、はじめはそうとも言ってはいられないでしょう。しかし、アドリブにも対策がないわけではありません。予め予想される質問をできるだけ多く絞りだして用意しておくべきなのです。ここでも第三者の視点になることが大事になります。もちろんそれに対する回答も用意します。場合によっては、質疑用の資料を手元に用意して壇上にあがることも考えよう。具体的数値などを聞かれてもいちいち覚えていないものもある。また、そのための補足図表も、パワーポイントの後ろにしのばせておいた方が良いでしょう。質問に対して、待っていましたと本編で使用しなかった図表を登場させると、とてもかっこ良いし、「こいつ分かっている」という印象を与えることができる。そして、何より自分が気持ちの良いものです。

また、そういう準備をするうちに、自分の研究テーマについて、何も知らない聴衆の立場に立つことができるので、さらに効果的なプレゼンへ還元することができるのです。

 質問は成功の証し                                            

いずれにしても、質問は恐れないようにしよう。むしろ、質問がでないことを恐れよう。質問のない発表こそ失敗なのです。良いプレゼンほど質問の手が即座にかつ沢山上がるもので、そういう瞬間にこそ、研究者は心のなかでガッツポーズをしているのです。ガッツポーズができるプレゼンをしよう。

 前日はよく寝ること                                             

最後に、本番前日は絶対によく寝るべし。腐った魚のような目をして、ぼさぼさの頭で発表するのは最悪の印象を与えます。質問に対する答弁もさえないものになりがちです。「昨日は一睡もしませんでしたよ」と徹夜自慢はしたくなるものだが、それは「バカの証明」です。バカなのは結構ですが、ことさらにそれを自慢する姿はみじめでしかありません。前日は絶対に寝よう。〆切を一日前に設定しておけば良いだけです。そもそも、コンピュータの不調、身体の不調など思わぬ不慮の事態が起こりうる。そんなことが起きてもなおかつ対処できるのがタイムマネージメントである。悲しいけれど、個人の事情にあわせて発表会は待ってくれないのです。

 最後はひらきなおる                                            

最後は開き直ろう。これからも社会に出ると人前で説明をする機会は規模や頻度の差こそあれ必ずあります。会社の企画を説明するとき、取引先にセールスをするとき、求婚するとき、必ず自分の頭の中にある考えを他人にプレゼンすることになるのです(思いの程度が同じならプレゼンのうまさで判断されるのです)。大げさな表現をすれば、人生はプレゼンの連続とも言えるでしょう。卒論発表会はそのための練習会のようなものでもあります。そうです。単なる人生の練習なのです。これからはじまる長いプレゼン人生の最初のワンステップでしかないのだから、かりに失敗があっても良いではないですか。高いステップで転ぶと死にますが、最初の1段で転んでもケガはしません。できる限りのことを尽くしたら、後はもうとにかく思い切り、元気にやるだけです。一所懸命にやったのなら、失敗してもそれまた爽快なものなのです。「これだけ準備をしたのに、なおかつどんな失敗が起こりうる余地があるのだろう?」と失敗を楽しみに待っていれば良いのです(どうだ!この心の余裕)。そう思えるほどの準備をしておけばよいだけです。

考えてみれば、たとえ15分間という短い時間でも、200名もの聴衆の注目を一身に独占できるのは、誰もができる経験ではないのです。しかも、そこで自分が話すのは、世界でたった一つの自分が考えたオリジナルなストーリーなのです。それは、自分がミュージシャンになったような快感を伴う体験です。そんな幸せな時間を思い切り楽しむつもりでやりましょう。

結局の所、今まで述べたプレゼンのテクニックとは、姑息なテクニックではなく、すべて聴衆(他人)に気持ち理解してもらうための、サービス精神、つまり愛であることに気付くはずです。自分も他人も同時に幸せになる愛ある時間をつくりましょう。

みなさんのミッションの成功を祈ります。

平成1523日作成

平成16115日一部改正

平成17年2月1日再改正

平成21610日再々改正

追記

文中に大根入りカレーの話がでましたが、平成16年度卒業生から「ありえない」との声が多数あがりました。しかし、最近のニュースで、おでんカレーがはやっているとの報道がありました。       (平成17年1月31日)

 

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