忙中閑話
「 ♂をみて思うこと 」 
 ところで、サクラマスの♂は少ないのだ。
  サクラマスの名の通り、婚姻期の♂は、それは鮮やかな朱色を身にまとい、はっとするほど美しい。 だけれども、その姿を調査河川で目にすることは稀だ。これまでの研究成果によると、降海(川から海に入る=サクラマスになる)する多くは♀であるとのこと。 そうであるならば、サクラマスの♂が少ないのも当然なのだろう。とすると、当然ながら川に居る♂(河川残留型=つまりヤマメ)の存在が非常に重要になってくる。 だって、せっかく川に戻ってきたサクラマス♀が旦那さんを見つけられなかったら大変だから。ところが実際に産卵するある河川には、普段、残留型が全然居ないのである。 ところが、ところが、これが産卵期(だいたい10月初旬)に入ると様相が一変する。サクラマスの♀個体の周りには多くの♂ヤマメが群がり、さながら花魁道中のような賑やかさを見せるのだ。 我々は、彼らはおそらく、調査河川が接続するより大きな河川(本川)からサクラマスと共に遡上してきたと考えている。
 この仮説が正しいとするならば、我々が調査対象としている河川は、まさに産卵に特化した場所であると言える。 つまり川の機能や多様性というのは、ひとくくりには出来ないということである。川の個性を判断できれば、その個性に応じた対策を検討できるようになるはず。 つまり川の診断方法を見つける必要があるってことだ。これって面白いと思いませんか?(2016.9渡邉)

「 サクラマス調査こぼればなし 」 
 ちりんちりんちりん…
 朝靄ただよう川面にクマよけ鈴の音が、はね、踊る。
 それは河川研名物「巡検調査」のBGMである。
 この調査、危険渓流における防災と、種の生産環境を両立維持するための基礎的研究として2013年から実施されている。 毎年10月初旬からサクラマスの親は姿をみせてくれており、その後、40日ほど続く遡上期間に立ち会うことで、さまざまな情報を得ることができる。 毎年おなじ様で違う、違うようで似ている…そんなことを感じながら、遡上区間の4㎞あまりを、ひたすらに歩き遡る。 もちろんただ歩くだけではない、調査項目を記述しながら、常に川面に目を配り、あの朱色を探すのだ。 おまけに今年はヤマメやイワナも探せと4年生担当者からの下知により、“視力”を尽くすことになった(笑)。
  私もフルタイム調査は初めてなので、当初は体力的に不安があった。が、サクラマスの示唆に富む行動を見続けるうちにあっという間に調査終了となった。 50日も同じ川を見ていると、その日々の違いが明瞭に感じ取れたし、日々あたらしい驚きがあった。また、同じ種の産卵行動も過去と比較すると随分とちがった。   例えば―
  今年は早くから産卵床の形成が見られた。それも明瞭に、あちこちで。これまでは遡上個体が確認されて数日後に産卵床が形成されていたのに。 まぁ、この現象の解明は4年生に任せるとして。それにつけても、産卵床を形成している個体の健気さには何度も胸を打たれた。遡上したての彼ら、いや産卵床を作るのはメスのみなので、 彼女たちは、本当に美しい魚体である。彼女たちは適当な場を見つけ河床を掘り始める。 体を横倒しにして尾びれを河床に打ち付け、礫や石を掘り起こすわけなのだが、観察していると、これが大変効率が悪い。 1時間で数十回と繰り返し、ようやく石が数個動く程度だったりもする。またせっかく堀り込んでも、流れで直ぐに埋め戻されてしまうこともある。 だからちっとも穴は大きくならない。ところが、次の日に同じ場所を訪れてみると、驚くほど広く掘り返され、卵を産んだ後に埋め戻したマウンドが立派に出来上がっているのだ。 昨日まで取り巻いていたオスは姿も見えず、ぺちゃんこのお腹のメスがヨタヨタと傍に居るのみとなる。 美しかった彼女の体は傷だらけになっており、特に尾びれは骨まで見えるほど擦り切れている。おそらく1日中あの行動を繰り返した結果なのだろう。 疲れ切った彼女は擦り切れた尾びれをなおも打ち付けながら、マウンドの形成を続けている。何度も、何度も何度も・・・およそ3日程度、残りの命を燃やし尽くすまでその行動を続ける。 まさに“必死”の姿である。そうして屍となった彼女たちを、今年は8度手にすることが出来た。 空っぽになったお腹、脂ビレの位置まで肉がそげ、骨も削れた彼女たちを拾い上げるとき、自然と「お疲れさま、頑張ったねぇ」と声を掛けてしまう。 同時に、まさに彼女たちが命を懸けて産み残した次世代の命が、無事に繋がって行きますようにと願わずにはいられない。
  そして、この光景を一人でも多くの若い世代に見てもらいたいとも思う。命を繋ぐために命を懸ける。その姿を見ればきっと何かを感じてくれるはずと信じている。 きっと近い将来に訪れるその時の為にも、彼らの命を繋ぎ続ける助けをしたい。もしかしたら、それが私の原動力なのかもしれない。
 どうでしょう?一緒に渓を歩いてみてみませんか?そして我々に何が出来るか、今何をすべきかを一緒に考えてみませんか?(2016.4 渡邉)

「 夏に思う 」 
  今年は春から夏にかけて晴天が続いた。雨が降らなければ、川の水は減る。
至極当然のことである。 そんな川を見るにつけ、心配事はサクラマスの越夏に関することで占められる。サクラマスは、融雪期に海から川に遡上してくる。 我々の調査では、毎年10月初旬に産卵を始めるため、逆算すると実に半年以上も川で生息していることになる。
 サクラマスは高水温が苦手である。一説によると河川水が23℃を超えると死活問題となるそうだ。先ほど彼らは秋の産卵時まで川で過ごすと述べた。 よって、高温期になる夏を過ごす場が極めて重要になってくる。では彼らはどこで過ごすのか?
ある論文によれば、水深が10m、水温が15℃の環境を選好するとのことであった。それじゃ赤川はどうなんだろう?それがサクラマス越夏場に関心を持った最初のきっかけである。 2年ほど前になるか。物理的な環境把握には、川の上流から河口まで、測量をすれば良いのだろうが、まぁ、なかなか難儀である。さて、どうするか。
 ところで、赤川では夏に行われるサクラマス漁が存在する。巻き網が中心の全国的にも珍しい漁である。漁師が狙うは、越夏場に留まるサクラマスである。 彼らの経験知を得られれば一石二鳥だ。我々は当事者を探すことにした。最盛期には10組、100人以上のサクラマス漁業者が居られたそうだが、現在は有志で細々と行われている程度だという。 当時を知る人は、みな70歳を越えておられる。幸運にも、サクラマス獲りの名人と誰もが呼ぶHさんをはじめ、OさんKさんの3名からお話を伺うことができた。 彼らが生き生きと語る昭和40~50年代のサクラマス漁は、聞いているこちらも興奮するものであった。1ヶ所で80尾もの漁獲を得た話は、まさに伝説である。 そんな数々のお話に出てくる漁場は、こちらの狙い通り、サクラマスの溜まる場所(=越夏場)であり、特に優良な場は、固有名詞を持って記憶されていた。 我々はそれを地図上に記していく作業を繰り返した。地図上に地名表記されていないそれらの場所は、驚くべきことに60ヶ所を越えていた。 彼らはその場所、場所を、時期ごとに使い分けながらサクラマスを獲り、糧を得ていたのである。 もう一つ驚かされたのは、その場所の多くが、落差工や護岸工などの人工構造物に由来していたことだ。 主に治水に関するこれら構造物が、サクラマスにとっても重要な生息場となる…これって、治水と生態系保全を両立させるための結構重要な知見になるのではないだろうか。 そんな下心を隠しながら、古老のお話を集め整理し、判明した場所の物理計測を繰り返しているところである。 ああ、私もサクラマスが乱舞するそんな場を、この目で見てみたいなぁ。(2015.9.渡邉)

「 渓のはなし1 」 
  6月の渓は気分がいい。
 90年代の後半は不景気の影響からか釣りがブームとなっていた。おかげで5月のゴールデンウイークともなると、遠く関東方面からも釣り人が訪れ、 渓魚たちを散々にいじめてくれた。そんなこんなで5月は釣りにならないのだった。株価的には当時よりも景気は良いそうだが、例の事故も相まって、 ゴールデンウイークの渓はやっぱり今も人が多い。
 その点、6月は連休が無いから関東方面からの釣り客が来ない。庄内の人たちが渓を訪れるのは、もっぱら山菜採りであって、 釣りは海(黒鯛)と相場が決まっている。河畔の緑も色濃くなり、桑や紅葉苺の実も食べごろを迎える。出会うカモシカやサルもなんとなく穏やかな顔つきに見える。 けれど、それ以上に、イワナやヤマメたちの姿の素晴らしいこと!冬にまとった“サビ”はすっかり消え、生命力あふれる魚体は輝くばかりだし、 細糸を通じて感じる躍動に心も踊る。よって6月の渓は実に気分がいいのである。
 縁あって山大で教員となった。あの渓のヤマメは体高があって美形揃い、その渓のイワナは斑点の色が朱でなく鮮やかな黄色で、頭に虫食い模様があるんだよ… 多くの紹介したい渓(といっても里川レベル)があり、少なくとも小生の指導学生は是非連れて行きたいと願い続けて5年。が、しかし、どうだろう。 前期中もっとも忙しい月が6月という皮肉。釣りはおろか、渓を訪れることもままならない。こんな現実という舫いに繋がれっぱなしのまま、 あの渓やその渓はどうなっているだろうと思いを馳せる日々。窓の外は緑。(2015.7 渡邉)

「 Come Converse Club 」 
  本学部には様々な国から学生・研究者が訪れている。インドネシア、ベトナム、中国やドイツ、あるいはウガンダやルワンダなどから。 その数は30人を超える。これだけ多様で異なる文化の出身者がここ農学部に集っているのに、それに接する機会が無いのは何とも勿体ないと思っていた。 ある時、そんな話を研究室の博士課程院生(ウガンダ)に話したところ、「機会が無いなら創ろう!」という事になった。来て、会って、話す。目的はそれだけ。 時間は昼の50分。毎月1回の開催。そこから何が生まれるか。それは誰にも分からない。そんな期待を込めて、「Come Converse Club」と名付けた。 そこからはとんとん拍子で準備が進む。唯一心配は、果たして皆が集まってくれるかという事だけ。大きな期待と、少しの不安で迎えた4月9日。 20人以上が参加してくれ、杞憂は一掃された。2度目は5月11日。この日も多くの“会員”が参加し、盛況であった。しかもメンバーから自主的に新しい企画の提案が出るなど、 早くも次の何かが生まれそうな予感に満ちている。メンバーはポスドクから学部2年まで様々。年齢や学歴、そんなこと関係なく、皆がそれぞれを知ろうとし、そして自分を皆に知ってもらおうと言葉を交わす。 そうそう、この雑多な感じ、いいね。
 そんなCCクラブでは、軽食と飲み物を用意してあなたの参加をお待ちしています。
 Let’s share and have fun!! (2015.6 渡邉)

「 ラウンドテーブルセミナー」 
 昨年(2012)の暮れに、アフリカからの留学生に集まってもらって、ラウンドテーブルセミナーなるものを開催した。ODAレベルでの環境改善の支援は 時間がかかるので、専門の会社の技術者を招いて民間レベルでの、例えばCO2トレードのような、事例紹介や速やかな資金調達について講義してもらい、その 後にテーブルを囲んで自由に討論するというセミナーである。
 周知のように「ラウンドテーブル(円卓)」とは、アーサー王の有名な話だが、「円卓(round table)」「円卓会議」という上下のない響きもよい。英国の某大学でも同じ名称のものが開催されている。しかし、席につける者が限られる場合には、 「選ばれし者」の印象もある。こういった言葉は時として、政治的、戦略的な意味合いを持つことがある。
 生物多様性という言葉も、生物多様性戦略という政治的シナリオのもとでの理解と、実際の現象の理解とでは大きく異なる。貧栄養の河川が人為的な排水など 有機物で汚染されると富栄養となり、そこに生息する生物の多様性が増すことがある。区別しないと、とんでもない間違いをおかす。「それだけのことだろう か」と疑問を持ち、さらに解釈を拡げることも頭脳を活性化させることにはなる。(2013.4.11 大久保)

「 積 読 」       
 本を買って読まないで積んでおくだけ、そんな状態を「積読(つんどく)」という。大学を卒業して会社に就職して間もない頃、 「禅宗」に魅かれたことがあった。いろんな本や座談集などただ読み漁り、どうしても「鈴木大拙全集」を読んでみたいと思って神田の古本屋街を探し回って購入した。 休日に友人と二人で抱えて寮に持ち帰った。給料が5万円強、全集は揃いで2万7千円の時代であった。
 読んだのは、目次と興味のあるところだけ、ほとんど読まずに今は本棚の飾りになっている。 「欲しい」と思った欲求からは解放されたが、「読みたい」というところからも解放されてしまった。 拾い読みをしていくうちに「分かったような気」がしたのが、今思えば積読の大きな原因ではなかったかと思う。 さりとて、暇になったら、今度はしっかりと読んでみようとは今のところ思わない。 若き時代の一里塚であり、汗をかいてくれた友人の姿とともにいい想い出としている。(2012.11.07 大久保)

実習風景

高校生の皆さんへ
本研究室の分野は,従来の「農業土木」の中の「農業水利学」を基礎にしています. 「農業水利学」とは,適切な用水と排水を行うために,水の流れを解明し,水の使い方を考え,水利施設を計画する分野です. 本研究室では,それに加えて,「土木」分野の河川,特に河川環境を研究の対象にしています. 最近では,河川や水田生態系との関わりの深い領域での研究が多くなっています. 最終的な目標は,つきなみな言い方ですが,自然と共生できる利水施設や治水や利水などの計画にあります. それに至るための研究・教育を行っています. 従って,数学・物理学そして生物学・化学の 知識(考え方)があれば,卒業論文などでの選択の領域が大きく広がることになります. 近年の傾向として,数学や物理学を履修する人は少ないですが,環境を理解するには大事な知見です. また,欧米の論文を読むことが多いので,英語の勉強も必要でしょう. 更に,水の利用については社会・経済学的な知見も必要な 領域です. 自分は何が好きか迷ったら,ちょっと童心に返って子供の頃を想い出してみてください.(大久保)

早田川にて

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