中川地区

 旧中川堰は寛政元年以前の開墾と伝えられ、庄内では最も古いが、その開墾者、開墾年は不明である。
  明治25年水利組合法により中川堰普通水利組合となり、また昭和27年2月1日には、土地改良法による組織変更で山形区第26号として認可された土地改良区であった。 昭和時代に入ると、取水源である赤川が年々河床低下の兆しが見え始め、さらに上流に荒沢ダムの建造、建設ブームによる河川敷の砂利乱掘等により、 その現象は露骨を極め、取水が困難となった。また、本堰は、赤川水系4土地改良区の最末端に取水口をもつもので、常に農業用水の確保に苦労があったそうである。
  本研究室のカエル調査の重点地域である。理由は、開水路がいまだに多く残っていること。 比較的独立した営農管理(例えば、有機、特栽、慣行)がみられるため、カエル種の分布と営農管理の比較が行いやすいといった特性がある。(2015.渡邉)

中川写真

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