バングラデシュとの国際共同研究 (International collaboration with Bangladesh)

1. バングラデシュにおけるジャガイモの品質評価に関する研究 (Studies on the quality of potatoes in Bangladesh)
1-1.バングラデシュのジャガイモ栽培と消費(Production and consumption of potatoes in Bangladesh)

 バングラデシュ,特に首都ダッカとその近郊は,ホッダ(ガンジス)川とジョムナ(プラマプトラ)川を中心とする大河と,それらの支流が複雑に交差して沖積平野を形成しています.支流の中でも特に大きいのがブリゴンガ川で,この川は,直接ダッカの中心地に流れ込み,川沿いにはバックパッカーの人が良く訪れるショドル・ガットのあるオールドダッカが広がっています.

オールドダッカにある観光地の一つ,ラールバーグ・フォート

 ブリゴンガ川より北の地域は,オールドダッカ,ダッカ大学,モティジール地区,国会議事堂,グルシャン地区,国際空港など,政治・文教・商業の中心地となっていて,農業生産は殆ど行われていません.Dhaka Divisionと呼ばれるバングラデシュの中央エリアでも,主な農業生産が行われているのは,北はガジプールなどダッカの隣りの市や,南はホッダ川を越えた地域になります.私達が共同研究を行っているジャガイモについては,ダッカから南に30kmほど行った所にあるムンシゴンジや,北に300kmほど行った所にあるラングプール,ディナジプールなどが有名です.FAOの統計によれば,バングラデシュの国土面積13,017(×1,000ha)のうち,農地は9,108(x1,000)ha,すなわち70%が農地ということになります(因みに日本の農地面積は約12%)

モンジゴンジにあるジャガイモ畑

 このうちジャガイモが生産されている面積は462x1,000 haで,全収量は約900万トン(バングラデシュ農業統計局)と言われています.つまり,全農地の5%に相当する面積に日本の米生産量に匹敵する量のジャガイモを作っていることになります(日本の米の総生産量は,約860万トン:農林水産省).勿論,ジャガイモと米とでは水分含量が異なるので,単純な多い少ないの比較には無理があるのですが,それでも日本のジャガイモ生産量が約250万トンですから,バングラデシュに於けるジャガイモ生産量は非常に多いと言えます.
 統計値によれば,バングラデシュのジャガイモ生産量は世界第7位(FAO stat 2014)となっており,世界でも有数のジャガイモ生産国であることが判ります.

収穫期のジャガイモ畑

 そんなバングラデシュのジャガイモ生産には,バングラデシュならではの利点と問題点があります.バングラデシュの気候は大きく分けると雨季と乾季に分かれ,雨季には近くの河川が氾濫して大量の水と土砂を上流から運んできます.そのため,農地は一度リセットされるような形になり,日本のような畑地では困難なジャガイモの連作が可能となります.これはバングラデシュのジャガイモ生産にとって大きな利点です.
 一方,雨季には畑地も含めて周辺が水没するため,ジャガイモを生産することが出来ません.そのため雨季には専らお米が生産されることになり,乾季に移る10月頃からジャガイモの植え付けが始まり,乾季が終盤に差しかかる3月頃が収穫期になります.こうした栽培方法は,多少の例外があってもだいたいバングラデシュ全土で共通してるため,バングラデシュのジャガイモはある特定の季節に一度に収穫が始まることになります.こうした収穫時期の集中は,当然様々な問題を引き起こします.
 ジャガイモは米と違って水分含量が多いため,常温での長期保存は出来ません.そのため,収穫したジャガイモは加工用に回すか,冷蔵設備のある貯蔵庫内に入れないと,直ぐに腐ってしまいます.しかし,900万トンものジャガイモを貯蔵できるような設備がある訳でもなく,一度にこれだけの量を加工できる施設がある訳でもありません.そのため,どうしても処理しきれないジャガイモが廃棄されることになります.

   
ジャガイモを使ったバングラデシュ料理とダッカのスーパーでのジャガイモ売り場
    
ポテトチップスと成型ポテトチップスップと

 また,供給量が急激に増えると価格は当然急激に低下します.価格が下がれば農家の利益は減るわけですから,生産意欲も低下します.バングラデシュで生産されるジャガイモの30%くらいが廃棄されるているのではないかという人もいますが,実際にどの程度廃棄されているのかは判りません.総生産量900万トンという数字も出荷統計に表れる数値ですので,廃棄量を考えると,実際には1,000万トン以上のジャガイモを生産していると考えられます.
 バングラデシュでは,こうしたジャガイモの生産・収穫にはまだ機械化は殆ど行われていないようで,専ら人間の手で植えて,人間の手で収穫するという昔ながらの方法が主流を占めています.収穫されたジャガイモの山はある意味壮観ですが,品質維持という点では大きな問題です.品種や植え付け時期を変えることによってジャガイモの収穫時期をある程度ずらすことはできても,気候が雨季と乾季とにはっきりと分かれる以上,どうしても収穫時期にピークが出来てしまうことは避けられず,現時点でこの問題を解決する有効打はないのが実情です.

 仮に収穫されたジャガイモの多くが海外に輸出出来るようになっても,それを運ぶためのインフラ整備などの問題もありますから,直ぐに解決できる問題ではなさそうです.
 それでもこれだけ大量のジャガイモを安く生産できるという点は,諸外国と競争する上でも大きなアドバンテージになるでしょうから,流通インフラを整えることで,大きなビジネスチャンスが生まれることが期待できます.
 ジャガイモはテーブルポテト用,チップ用,フレーク用など,用途によって必要とされる品質特性が異なるため,テーブルポテトに適した品種を直ぐにチップ用に回すというようなことは困難です.そのため,先ずは用途に合った品種を選定し,なおかつ栽培試験を行った上で,その品種がその土地に相応しいかを確かめる必要があります.また,品種改良も重要なテーマです.現在バングラデシュで栽培されている品種の多くはテーブルポテト用で,還元糖含量が多い傾向があります.
 こうした品種はバングラデシュで一般的に食べられているジャガイモカレー?(カレー味のマッシュドポテトのようなもので,”ボッタ”とよび,ジャガイモで作る場合は”アルボッタ”)などには適していますが,ポテトチップを作ったりすると,メイラード反応が起こって黒くなってしまうため適しません.ですから品種の選定はジャガイモを栽培する上で非常に重要な作業の一つと言えます.現在のバングラデシュにおけるジャガイモ生産の傾向を見ると,今まで”アルボッタ”などでの消費が多かったため,加工用,特にポテトチップ用については,余り多くの適性品種がないようです.ですが,日本と違って若年人口層が非常に多い(総人口約1.6億人,年平均人口増加率1.37%,男女とも10〜19歳の人口比が最も高い:外務省ホームページより)ことを考えると,ポテトチップやフレンチフライのようなジャガイモ加工食品の消費量は,今後大きく伸びて行くことが予想されます.

 
また,現在は輸入品が主流で,高級品として売られている成型ポテトチップス(フレーク状態にしたジャガイモを使って形を整えて揚げるチップス.円筒形の筒に入っている物が多い)も,経済成長に伴って,今後はバングラデシュ国内で消費量が増大すると予想されます.
 こうした潜在的な市場規模,また,インドという世界の人口大国と接し,コルカタと同じベンガル語圏に属するという地政学的な利点を考えると,バングラデシュの市場範囲の中に入るジャガイモ加工品の潜在的消費人口ははるかに多くなります.
 私が食べてみた感じでは,現在バングラデシュで売られているポテトチップは,日本のポテトチップに比べるとかなり味が濃く,日本人にはチョット苦手な味付けになっています.今後バングラデシュでも健康志向が重要なテーマになって行くだろうことを考えると,今後は日本のポテトチップのように,もう少し薄味の物が好まれるようになるかも知れません.
 さらに,現在のバングラデシュの食生活が,どうしても米(あるいは小麦で作るナン)を主食として,おかずに”アルボッタ”を食べ,味噌汁の代わりに炭酸飲料水を飲むことが多いため,全体的に糖質の摂取量が多くなってしまう傾向にあるようです.実は首都ダッカには糖尿病の専門病院が沢山あり,中間層〜富裕層ではかなりの人が糖尿病に悩んでいると聞いています.事実,アポを取ってそれなりの方にお会いしたときなど,会談の途中で秘書がやって来て,突然血糖値を調べ始めるといったような光景にも,今まで度々出くわしています.
 そういう意味では,もう少しバランスの取れた食生活をするため,ジャガイモ以外の野菜類ももっと沢山食べて欲しいと思っています.

1-2.TPS(種子生産性ジャガイモ)
 通常ジャガイモは休眠を打破した種芋から育てるため,ジャガイモ栽培には種芋の確保が最も重要になりますが,貯蔵施設が整っていない国では水分を多く含む種芋の貯蔵には多くの困難が伴うため,種子生産性のジャガイモの研究が行われています.バングラデシュでも種子生産性ジャガイモの研究・開発を行っており,私の研究室でも国際共同研究を実施しています(詳しくは,
熱帯アジアのジャガイモ真性種子」の項目をご覧下さい).この研究を実施するにあたっては,シエレ・バングラ農業大学(Sher-e-Bangla Agricultural University)のRoy教授が研究協力者として参加しています.Roy教授は,日本学術振興会の論文博士支援事業の支援を受け,当研究室で研究を続け,博士の学位を取得された方で,今ではバングラデシュ有数のジャガイモ研究者として活躍しています.

Roy教授

2. バングラデシュにおける養液栽培の導入 (Introduction of hydroponics in Bangladesh)
2-1.水質汚染と養液栽培(Water pollution and Hydroponics)

 オールドダッカを形成する基になったブリゴンガ川は,バングラデシュの中でも最も汚染度が大きい川として知られており,ある調査では,「世界で2番目に汚染されている川」という不名誉な称号を貰ったこともあるそうです.先日も現地新聞の一面に,ブリゴンガ川に浮かぶゴミが橋桁で詰まって,完全に流れを堰き止めてしまったという記事が出ていました.

 ダッカでも有数の汚染度を誇る?ブリゴンガ川

 勿論バングラデシュ政府もこんな状況を放っている訳ではなく,ダッカ大学の隣りにある政府機関BCSIR(Bangladesh Council of Scientific and Industrial Research)が中心になって,水,土,農作物の汚染度を測定しています.BCSIRは,バングラデシュでも殆ど唯一と言って良いほど分析機器が充実している所で,NMR,LC-MS,GC-MS,N/Cアナライザー,原子吸光など,一通りの分析機器が揃っています(日本の国立大学であれば,地方の大学でもほぼあるような機械ですが,バングラデシュでこれだけの設備を一箇所に揃えている所は,まだ殆どありません).

BCSIRの研究設備

 BCSIRは大学や民間企業と協力して,分析依頼を引き受けると共に,食品や水質の安全性を守るプロジェクトを展開しています.ただし,この問題は,言わばバングラデシュ全体の構造的問題ですので,政府の一機関や大学の研究で直ぐに解決するような単純な問題ではありません.バングラデシュの河川を浄化するには,下水を中心とする膨大なインフラ投資,増え続けるダッカの人口を抑制するための,効果的な地域経済の発展政策,多くの貧困層が未だ上下水道なしの生活を送らざるを得ない現状など,単なる施設整備だけでなく,社会政策や経済政策も含めた総合的な対策が必要ですが,それには莫大な費用がかかることは目に見えており,とても今日明日に解決できるような問題ではありません.
 特に近年では,繊維産業の発展に伴って,ダッカ近郊には多くの繊維工場が建ち並ぶようになり,人口の一極集中に拍車をかけている状況です.かと言って,現在のバングラデシュにおける経済成長の牽引役である繊維産業に規制をかけることは,貧困国からの脱出を阻害することにもなりかねず,政府としては難しい舵取りを迫られているところです.
 園芸生産の観点からも水質汚染は大きな問題です.バングラデシュは雨季に河川が氾濫することにより,上流から大量の土砂が畑に流れ込み,それが自然の土壌活性化に繋がっているのですが,都市近郊では近年の工業化に伴い工業廃水や生活排水が大量に河川に流れ込んでいるため,こうした汚染水も畑地に流れ込むことになります.また,逆に化学肥料を多用することから生じる畑地の残留窒素肥料成分が河川に流れ出すことも大きな問題です.
 バングラデシュは元々天然のヒ素成分を含む土壌が多いため,地方では時々飲用水によるヒ素汚染が問題になっていますが,今後は工業化に伴う重金属や窒素汚染の問題にも取り組む必要があります.

 ダッカ大学とKarim教授

 そこで,本研究室では,ダッカ大学(Dhaka University)と共同で,汚染土壌から金属イオンを除去する研究に取り組んでいます.この研究には理学部のKarim教授が参加しています.Karim教授は愛媛大学で学位を取得された研究者で,主に微生物を用いた環境修復の研究をされています.

2-2.養液栽培の導入 (Introduction of hydroponics)
 農地から汚染物質を除くことも大切ですが,バングラデシュの国土と人口を考えると,そう簡単にできるものではありません.その一方で,ダッカを中心に富裕人口は確実に増えてきており,多くの人が食の安心・安全にも高い興味を持つようになってきています.こうした人達の需要に応えるための一つの方法が養液栽培です.例えば日本では既に一般的になっているイチゴ,トマト,キュウリといった野菜の養液栽培も,バングラデシュではまだ殆ど行われていません.

フェロモントラップなどを用いた野菜の有機栽培

 また,日本やオランダのような養液栽培システムを導入する場合には,かなり大きな初期投資が必要となりますが,簡易的な隔離施設を使って化学農薬の使用量を削減し,高設ベッドを設けて除染した水を潅水するなどの方法を取れば,かなり初期投資を削減できることが期待されます.当研究室では,シエレ・バングラ農業大学のSolaiman准教授と共同で,簡易的な養液栽培システム導入と安心・安全な野菜栽培に関する研究を行っています.

             
                          
Solaiman准教授
 Solaiman准教授も論文博士支援事業として来日し,当研究室で学位を取得された研究者で,現在は有機農業の研究を中心に幅広く活躍されています.
 海外,特に発展途上国での研究は,研究環境だけでなく,生活面でも苦労することが多いですが,若い学生諸君には是非積極的にこうしたアジア諸国に出て行き,国際的に活躍できる人材になって欲しいと願っています.